<映画『SICKO>』  (07.12.21)

SICKO』とは、2007年アメリカで封切りされた、マイケル・ムーア制作・監督・脚本・出演の作品。
医療制度の具体的事実をとことん追求した1時間23分のドキュメンタリーである。
●ムーアは、2002年『ボウリング・フォー・コロンバイン』で銃社会に突撃。アカデミー賞受賞(長編ドキュメンタリー賞)!。
2004年『華氏911』ではブッシュ大統領に突撃。カンヌ国際映画祭最高賞パルムドール受賞!
そして、第60回カンヌ国際映画祭特別招待作品!が、この『SICKO』。
●ここでのテーマは、世界中の誰もが関わりをもつ、医療制度問題。
ムーアは、救急車に事前申請が必要?!等というアメリカの現状をしっかり描写し,この国の医療制度はビョーキ(sicko)だ!!」批判。
これに、医療業界は厳戒態勢!医療業界の重役たちの髪がストレスで抜け落ち、ただちに「マイケル・ムーア対策マニュアル」(ご丁寧にも、ムーアそっくりさん実演DVD付)を製作。全米の支社に緘口令!
ブッシュ政権はムーアに、突撃取材先キューバへの不法入国の容疑をかけ、上映中止をちらつかせる!
さらに、来年の大統領選候補者の多くが、「公的健康保険の導入」を急に公約に掲げ始める!
なんと、アメリカの健康保険充実度は世界37位、泣く子もだまる超大国が、先進国中最下位だ!!先進国で唯一国民健康保険制度のないアメリカ。6人に一人が無保険で、毎年1.8万人が治療を受けられずに死んでいく。
● しかし、『シッコ』はちゃんと保険に入っている人々についての映画だ。 
 え? なら、何の問題があるの? それが大あり。
 アメリカの医療保険の大半はHMO(健康維持機構)という、民間の保険会社が医師に給料を支払って管理するシステム。
保険会社は、治療は不必要と診断した医者には、“(無駄な)支出を減らした”という旨の奨励金を与え、加入者には何かと理由をつけて保険金を払わない。
 さらに多額の献金で政治家を操り、都合のいい法律を作らせる。そんな政治家たちは公的医療保険を求める動きに対して「国による健保の管理は社会主義への第一歩だ!」と恫喝し完全につぶす。
 結局、国民は高い保険料を払っても、一度大病を患えば治療費が支払われずに病死か破産だ。
「I am sick of it(もう沢山だ)!」とムーアは叫ぶ。
SICKOとは、アメリカ俗語で病人、精神障害者、倒錯者、変質者狂人を指す。つまりここでは、世界の超大国アメリカが、<それ>だとマイケル・ムーアが告発しているのだ。
● 対比して,ヨーロッパの先進国イギリス・フランスと、中米の<発展途上国>キューバの医療制度を紹介する。原則として,どこでも・いつでも・だれでも、医療は無料で受けられるこれらの国の現実を。
●わが日本では,財界と政府が遅れたアメリカ型の医療制度に近づけ、浮かした税金を戦争で儲ける大資本のために使おうとしている。
介護保険制度」の改悪もそうであり「後期高齢者医療制度」もその為に国民負担を大きくすることを狙っている。
かつて60年代末から70年代にかけ,全国の革新自治体等で<老人医療費無料>の制度が次々と実施された時,これを敵視し潰そうとしていたのは,アメリカべったりの自民党政府と、これを動かしていた財界だった。
 かれらがアメリカ的医療制度にあこがれ、国民の生命・健康より、大企業の膨大な利益を重視していることは今でも変わりはない。ということを思い出させる,なかなかの映画だった。

<『楽団長は短気ですけど、何か?』金山茂人(水曜社07/12) >

著者の金山茂人は1940年富山県の大地主の家に生まれた。柔道と音楽のどちらを取るか夢おおき青春時代から、東京交響楽団理事・最高顧問、日本演奏連盟専務理事などに至る、現在まで波瀾万丈の<人生の出会い>を愉しく書き綴ったもの。
○だから音楽は面白い○素敵な音楽家たち○楽器楽しければ,人もまた
○音楽の旅,世界へ○人生の出会い
 どの章もそれぞれ面白いが、なかでも<楽器楽しければ,人もまた>は、東京交響楽団のメンバーの面々を材料に,オーケストラの楽器と演奏家をひとつひとつ俎上にのぼらせて、語る筆者の名演奏かと思われる。
 音楽については全くの門外漢ではあるが、これ一冊で日本の<オーケストラ業界>が裏表とも実によく解る。

<句集『半分』>玉木祐(揺籃社13/10)

   1 孵化の時
 入盆の定位置にあり夫の椅子
 そぎおとす磁石の砂鉄海は秋
 天金の書に一匹の冬の蠅
 われの忌を考えている海鼠かな
 初明かり白き山々受胎せり
 胎内へ流氷の音かえるごと
 前世のよう蛍袋の中にいて
 蝉が和す本当はのびやかなお経
 影があり己が半分暖かし
 小春日の赤子この世を選びたる
 自画像はあの日のままに鰯雲
 カテーテルするりと入り万愚節
 なに事も無き日よ蚯蚓の伸び縮み
 冬ざくら我も喩としてあるごとし
 むず痒しおたまじゃくしの孵化の時

 

    2 一番星
 主亡き粘土の首の冴え返る
 始めから半分だった捩じり花
 ゆるやかな自殺考え三鬼の忌
 夫婦という地下茎どこまでも竹薮
 騙し絵となって人くる花野かな
 一番星枯葉空気の音がする
 一瞬や髪白くなる昼の火事
 垂直に卵を立てて三鬼の忌
 蘭鋳に一すじの泡 ひろしま
 残された言葉半分盆の家
 少年に明日話そう冬の虹

 

    3 とは言えど
 教科書の主語が隠され春寒し
 既婚者の孤独独身日和かな
 円周率3・15蜆汁
 のらくろの真似うまかった兄の夏
 品川の伏字の詩集重治忌
 つぎつぎと耳切り捨て半夏生
 戻り来し吉里吉里国の秋鰹
 草紅葉この一本が定冠詞
 十月ざくら海坂藩に旅をする
 アトリエの夫を誘いに雪女郎
 花は葉にクマのプーさん雲に乗る
 年金特別便係御中青嵐
 母に似る舟の字四万六千日
 終着は十三階の聖夜かな

 

  4 アトリエ
 一列に並ぶ卵や山笑う
 身の内の力を恃むバナナかな
 自転車でゆける所まで積乱雲
 秋情(ごころ)寂しく鬼を待つあそび
 ゴロゴロとゴッホ馬鈴薯家族かな
 おしまいも花嫁衣装着てゆこう
 木は旅を夢見ておらん散り紅葉
 ローソクの一本が消え蝶の昼
 可も不可もなくて瓢の尻なでる
 てのひらに書くメモ秋も終わります
 アトリエに鬼の子の来てもの申す

   5 ゴヤの魔女
 あの顔は今のこの貌寒卵
 一石を投じた水の水ぬるむ
 薔薇の名を旅するようにめぐりけり
 外の蝉かテレビの蝉か 黙祷
 新巻と百円で買う去来抄
 ローソクの火に息合すレノンの忌
 もう貴女そろそろ狸になる頃よ
 立川の活断層やもやし独活
 自ずからゆけぬ国あり入彼岸
 五月闇土曜はゴヤの魔女といる 

<ボブ・ディラン 風の中、時代は変わる>東京新聞社説16/10/14

歌手ボブ・ディランノーベル文学賞。なあに驚くには当たらない。小説も詩も歌詞も、肝心なのは言葉の力さ。だって、友よ、風に吹かれて、転がる石のように、時代は変わっていくのだし-。

 ボブ・ディランは詩人である。

 フォークからロック、この春の十五年ぶりというホールでの来日コンサートでは、フランク・シナトライブ・モンタンといった大御所の名曲をカバーして、ボーカリストとしての実力を見せつけた。

 しかし、最も会場を沸かせたのは、アンコールの一曲目に歌った、やはりあの「風に吹かれて」だったろう。「公民権運動の賛歌」と言われる抵抗の歌である。

 もともと楽譜の枠をはみ出たような“字余りソング”。一九六三年発表のセカンドアルバム「フリーホイーリン」に収録された初出時の旋律は、ほとんどない。

 それでもファンたちは、変化をかみしめ、変わらない言葉を味わい、そして口ずさみ、その歌と共に生きた歴史をふり返る。

 ギターの弾き語り、ホルダーで固定したハーモニカ、とても美しいとは言えないしゃがれ声、自分の言葉を自分のメロディーに乗せて歌うそのスタイルは、ビートルズとともに日本のミュージックシーンも変えた。自分の言葉で歌っていいと教えてくれた。

 フォークの教祖といわれた岡林信康も、貴公子と呼ばれた吉田拓郎も、ディランに憧れ、ディランをまねた。

 プロテスト(抵抗)の心を秘めたメッセージソングの確立だった。そのメッセージが時代を大きく動かした。

 言葉の力で本当に時代を変えた人である。七十五歳の今も現役。その受賞は驚くに当たらない。

 以前から候補には上っていた。二〇〇八年には「卓越した詩の力による歌詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響を与えた」として、ピュリツァー賞の特別賞を受賞した。

 メッセージ性や社会批判を重視すると言われる文学賞。二重三重の意味を持つという歌詞の文学性…。むしろ王道の受賞者といっていい。

 とはいえ、ディランが歌ったように「時代は変わる」。

 ♪最初のものが最後になる/時代は変わるのだ…。

 ノーベル文学賞は、ディランがそうしてきたように既存の枠を飛び越える変化を見せた。

 来年こそ、村上春樹氏も…。

<ボブ・ディランさんにノーベル賞 ファン歓喜「優しく染みる反骨の言葉」>

<東京新聞>16/10/14朝刊

「今夜かける曲はボブ・ディランだけだ」-。若者の気持ちを代弁してきた反骨のシンガーがノーベル文学賞に決まった十三日夜、ライブバーやロックバーなどに、ファンが集まった。「言葉がとんがっていて。でも、優しくて染みる」「深みのある言葉」。ディランさんの歌に魅了されたオヤジたちが、杯を重ねた。

 ディランさんのファンが集まるライブバー「ポルカドッツ」(東京都豊島区)には、文学賞受賞発表後、続々と常連客が集まってきた。経営者の東京ボブさんは「数年前から受賞するといわれていたけど、まさか今年するとは。びっくりした」と話した。

 十代からディランさんの声や歌詞に魅了され、店では自らディランさんの曲をライブ演奏する。「ディランはもしかしたら(ノーベル賞を)いらないと言うかと思った。でも喜んでいるでしょうね。これからも元気にライブをやってほしい」

 同様にディランさんの曲を演奏する常連客のミノル・B・グッドさん(48)は「三十年近く前に初めてディランの曲を聴いたときは意味がわからなかった。それが理解できるようになったとき、引き込まれていった」と振り返り、「米国の伝統的な音楽に自分の気持ちを乗せて歌い、六〇年代の若者の気持ちを代弁してきた功績は大きい」と語った。

 ディランさんがベトナム戦争に反対するために歌った曲のタイトルと同じ名前の居酒屋「風に吹かれて」(大田区)の常連で音楽出版社社員の井口吾郎さん(60)=大田区=は「自分たちの親分が賞を取った気分」と受賞を喜ぶ。ディランさんの音楽について「言葉がとんがっていて、抽象的で難しい。でも優しくて染みる。日本語訳の、その先の意味を探る楽しさがある」と魅力を語る。

 「ディランなら賞をとって当然。涙が止まらない」。ロックバー「フルハウス」(千葉市稲毛区)のマスター、高山真一さん(68)は喜びのあまりむせび泣いた。レコードはすべてそろえ、今年四月の東京での日本公演を含め、何度もライブに駆けつけた熱狂的なファンだ。

 「『答えは風の中に舞っている』というワンフレーズのかっこよさ。聖書の一節に独自の解釈を加えるなど深みのある言葉。普遍的な人生の歌に、ずっと夢中にさせられている」。店内には数千枚のレコードやCDがある。「今夜はかけるのはディランだけだ」

 ノーベル文学賞候補とみられていた作家の村上春樹さん(67)が、かつてジャズ喫茶を経営していた東京都渋谷区千駄ケ谷の商店街にある鳩森八幡神社境内では、村上さんのファンが集まっていた。ディランさんの受賞が決まると、村上さんの小説「風の歌を聴け」と、「風に吹かれて」を掛けて、「風の歌が風に吹かれちゃった」と評するファンも。

 地元商店街で不動産業を営む大谷秀利さん(55)は「これまで春樹さんがノーベル賞を取れなかったのは純文学ではないからと言う声もあった。ボブ・ディランが受賞決定したということで一気に、文学賞の間口が広がった。だったら来年こそ春樹さんでしょ」と来年に期待を寄せた。

小室等さん「僕らの支え かっこいい!」

 ディランさんの影響を受けたフォークシンガー小室等さん(72)は「娘からの電話で受賞を知った瞬間、われを忘れた。一緒に飲んでいた音楽仲間に、自分の親戚の出来事のように自慢していた」と声を弾ませた。

 ディランさんより二年後に生まれた小室さんは一九六八年にグループ「六文銭」を結成し、上條恒彦さん(76)が歌った「出発(たびだち)の歌」をヒットさせた。

 「一九六〇、七○年代に若者だった僕らにとって、時代に物を言うディランは支えだった。曲を聴き、『これからをいい世の中にできる』という思いが湧いてきた」と振り返る。

 ディランさんの受賞は予想していなかったが、「歌詞にいっぱい暗号が隠されていて、十人が十人、受け取り方が違う。そんな体験は他の歌にはなかった」と文学性を評価する。

 「今、思い浮かぶ曲は?」という質問に「あれも、これも。僕らのアイドルがノーベル賞を取った。『かっこいい!』という気持ち」と少年のように喜んだ。

◆彼がいたから今日が

 <シンガー・ソングライター吉田拓郎さんの話> もし、あの時にボブ・ディランがいなかったら、と考える。ボブ・ディランがいたから今日があるような気もする。多くのことがそこから始まったと僕は思うのだ。

「<断層>の時代/1950年代前半の歴史像への試み」成田龍一(思想05/12)

この論文は,戦後とはどういう時期か,何時からをそう呼ぶのが適切かという<課題>にも応えるものなのだが(これについては、『八月十五日の神話/終戦記念日のメディア』佐藤卓巳<ふくろうの夢70>)、その時期に発行された文芸誌にそった展開がなされている。
 それは「新日本文学」から分裂した「人民文学」であり「文学の友」「生活と文学」である。
(この4誌のそれぞれの時期の読者として,わたしの青少年期が重なったこと、職場でも地域でも複数のサークルに参加したことなどで、あらためてそれらの位置づけに関心があった)

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 著者は,「人民文学」の特徴付けとして3点をあげる。
第一に「人民文学」が、文壇の中に閉じるのではなく、社会的な出来事と社会運動のルポをとりあげ、盛んに論じていること。例えば,松川事件でありメーデー事件であり京大事件であり内灘基地拡張反対闘争である。
第二に「人民文学」は、既成作家の寄稿以上にあらたな書き手を積極的に登用した。それは生産点からの文学や闘争を重視しした、新しい文学構想によるものだった。創刊から一年間に23人27編の小説が掲載されたが,そのうち14人が新人の労働者作家だった。
第三に「人民文学」は、職場・地域・学校などの文学(的)サークルとの交流を求め,そこに集う人々の動きと存在に着目している。把握しているサークルは約400とされた。
 

 しかし「人民文学」の主体と表現をめぐる3つの論点が出された。
第一は「人民文学」に瀰漫する<ひとりよがり><おしつけ><自己陶酔>を云うもの。例えば小野十三郎は、前衛意識の過剰から観念的に先走り,本来は甘ったれた感傷の裏返しに過ぎない怒号叫喚や思い上がった指導者根性と手厳しく指摘した。
第二は,主体と表現の関係を原理的に考えるもの。
イ・文学的には,誰の為に書くのかを問い,作品は作者と読者の共作であり、読者が広範である分だけ質が充実するとする。
ロ・サークル活動としては,例えば安部公房は、普及と向上を結びつけ,政治的に高まることが詩をたかめ、詩の高まりが政治を高めると説く。
第三は,例えば関根弘は、サークル運動の詩を,生活綴り方運動の線上におき
、これらの詩は<文学の探究>以上に<生活の探求>に力点が置かれ,作品の芸術的な面には関心が無い。サークル詩は<日本の記録>をつくる素材で、そのためにも、<ブルジョア民族主義>との思想的闘いを経て,民族解放を使命とする<国民詩>へと至るとした。

 サークル文学運動を拡げ高める為にも「人民文学」や後継誌の「文学の友」「生活と文学」が活動したのだが、例えば佐々木斐夫はサークルについて、人間関係の新しいつながりを固め,お互いの理解を通じてお互いの運命を規制しているものが何であるかを認識し始めることに役立ったとする。

 

 ではサークルという広い土壌の上に,どんな文学が開花するのか。
例えば野間宏は,生活の事実を基礎におき,個別の事実から共通の像を探り,共通の像が個性化されたものを典型とし、この過程で時代と社会を把握しようとした。

 しかし、「人民文学」派のもつ実感は,あらかじめのイデオロギーと予定調和している。政治的な対立を重視し,基準としての人民とその闘いを自明とする志向で、同時代的にも<断層>が生じていた。 
比喩的に云えば,1950年代に100万部を越える部数の雑誌「平凡」読者との断層である。

 更にこの<断層>は、1990年前後に相乗される。所謂55年体制が崩れ,高度成長経済が終焉するなかで、社会運動に対する関心は急速に薄れていく。<戦後>や<冷戦>という意識は消失し,イデオロギーの役割も変容した。「人民文学」と1950年代前半の時代には,こうして同時代的・歴史的な幾層もの<断層>がみられる。

 以上のような<断層>について語りながら,著者はこう締めくくる。
 1950年代前半の歴史像のためには、これら幾つもの<断層>の文脈をほぐす必要がある。
 だが、<断層>ばかりに目が向くが,ここに胚胎していた膨大なエネルギー、主体創出の試みは歴史的に追求され、これにより20世紀後半の<戦後史>像はあらたな豊かさを持つだろう。

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 小林勝『断層地帯』や、井上光晴『書かれざる一章』などを思い出すこの時期,
『現代日本文学論争史』(未来社)『近代文学論争』(筑摩書房)『日本文学史序説』(平凡社)『座談会昭和文学史』(集英社)『日本近代文学評論選』(岩波文庫)などには触れられてないこの時期,
新たに,戦後文学史論がどう評価し直すのか、関心をもち続けたい。

<「魯迅『阿Q正伝』を読む」奥泉光×いとうせいこう(すばる08/10月)>

 文芸漫談<笑うブンガク入門>シリーズで、サブタイトルは<文学史上最もプライドが高かった男>
 まず、枕をふって、この奥泉光いとうせいこうがそれぞれミュージシャン体験の熱気を含んだままで、ここに出て来ていることが語られ,それから魯迅という人物について紹介があり、文庫本にして僅か55ページという『阿Q正伝』に入って行く。

 丹念に各章を語って行くし、そこそこに面白いのだが,最後は概ねこうなる。
奥泉「僕はもちろん阿Qではないけれども、でもやっぱり阿Q的なものと自分が無縁だとはとても思えない」そして,いくら革命が起きても旧来のものが支配する世界が続くのではないか、と魯迅は懸念を抱いていたし,これは中国だけの問題ではなく、我々の問題だ、とも語る。
(この辺りは一寸編集が粗くて,もう少し丁寧に説明した方が好かった?)

いとう「魯迅の先見性を感じる」「翻訳(竹内好)が抜群にいい。面白さが伝わるような書き方」
奥泉「注に依ると,随分補足した訳文だそうです。つまり竹内好によって、魯迅の世界は日本語のテキストとしていきいき生かされている」
いとう「とにかく、あの魯迅特有のタッチ、節のある水彩画のような雰囲気だけでも感じ取ってもらえれば」
奥泉「そう。大きな思想的意味とか、魯迅の文学的価値とか,中国民衆云々は・・・」
いとう「中国思想史の学者がいくらでも解説してくれる」とりあえずミュージシャンとしてただ面白ければいいーと締めるのは文芸漫談どおり。
 
 久しぶりに岩波の『魯迅選集』を披らく機会になったが、『阿Q正伝』は魯迅にとって、彼の祖国への愛情に満ち溢れた、無念の告発状のように感じたことだった。
魯迅は『阿Q正伝』のロシア語版の序で、この小説が出版されたとき、さまざまの批評があったが「人生の見方は作者によってちがう。作品の見方も読者によってちがう」として、新しい読者であるロシアでの感想に興味があると書いていた。これは中国の毀誉褒貶に満足出来なかったから?