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チェーホフ追加  (2007.1.1)

阿刀田高志の『チェーホフを楽しむために』(「小説新潮」連載05年)を読んだ感想として、次のことを結論として記した。
「阿刀田の語りを簡単に結論づければ、チェーホフの真価は短編小説よりやはり戯曲ですね、ということになる。逆に言えばチェーホフは四大戯曲で世界の文豪になれた、小説だけではさて、ということだろう。」

  これは、(第8話 <三人姉妹><桜の園>の兄と弟)の最後の阿刀田の結論を要約したものだ。また例えば、第5話「短編小説の名品たち」で、阿刀田 はチェーホフの短編小説を語り、最後にこう書いている「このエッセイはずっとチェーホフの小説について述べてきたが、次はいよいよチェーホフ城の本丸、戯 曲のほうへ視点を変えて綴ろうと思う」これは短編よりやはり戯曲ですよ、と言っていることだろう。

 更に付け加えると、阿刀田は『短編小説のレシピ』(集英社新書/02年「朝日カルチャーセンター」での講義をまとめた)では、中島敦はじめ新田次郎,志賀直哉,R・ダール,A・ポー,漱石,そして自作を上げているがチェーホフの短編には言及していない。

  チェーホフが出て来るのは、その後『海外短編のテクニック』(集英社新書04.9)に一章が立てられているのが初めて(?)かも知れない。そしてこの時期 には、阿刀田は次のように書いている。(第四章 チェーホフ<イオーヌイチ><犬を連れた奥さん>そして、その他の短編)
 「日本でチェーホフと言えば劇作家としての誉れが高いけれど、この多彩な作家にあえて一枚だけレッテルを貼るとすれば、むしろ短編小説の名手のほうだろう」と。

 ここで言いたいのは、阿刀田のチェーホフ評価の揺らぎをあげつらうことではなく、むしろチェーホフという作家の<解りにくくさえある多彩な>面が、逆に阿刀田の評価を、その時々に替えさせているものとして見ることが出来る、ということだ。