チェーホフ 追加 、更に

ところで阿刀田と同じく作家である阿部昭の『短編小説礼賛』(岩波新書86.8)という一冊がある。手許にあ るのは13刷だから、それなりに息長く売れ続けたものだろう。これには、鴎外,モーパッサン,ドーデ,独歩,ルナール,菊池寛,志賀直哉,マンスフィール ド,梶井基次郎,魯迅,ヘミングウエーと並んでチェーホフに一章が割かれている。

 阿部はここで、チェーホフの短編を、修業時代にそっく り敷き写したようなキャサリンマンスフィールドの短編が物議をかもしたことを語りながら、またチェーホフが日頃機会あるごとにモーパッサンの名前を口に 出していたことを語る。チェーホフは戯曲「かもめ」の女優アルカージナに『水の上』を読ませて「ふん、あとはつまらない嘘っぱちだ」と本を閉じさせてしま う。

 しかしこれは、モーパッサンの短編小説のつくり方と違うチェーホフの書き方を強調するものではあっても、モーパッサンを否定的に見 ていたということではなさそうだ。勝手に想像すれば、チェーホフにとってモーパッサンとは、山岳行で聳え立つしかし乗り越えなければならない一つのポイン トだったのではないか。

 阿部はチェーホフの特長をこう語る。「たしかに、チェーホフの短編は筋が辿りにくい、一口にこんな話とは言いに くい。また言ったところであまり意味がない。どんな絵とかどんな音楽とか説明することに意味がないのと同じである。」更に「<話>や< 筋>そのものに頼らず、あからさまなメッセージも発せず、ただひたすら<生きたイメージ>に語らせる。」そういうチェーホフの影響は映 画監督たち、デ・シーカ,フェリーニ,ベルイマン,ライたちにも及んでいるのでは、と想像している。
「結びが決して終わりを意味せず、そのつど新 しい始まりの可能性をはらんでいるような、こういう短編小説の形。チェーホフによって創められ、彼自身によって究め尽くされたように見えるその書き方。以 来どんな短編作者もそれを意識することなしには唯の一行もかけなくなったと言っていい」と。
 そしてこうも語る。「初期の短編から、晩年の大きな 戯曲にいたるまで、チェーホフがどんな人物をも心をこめて大切に扱っているのをわれわれは知っている。彼は同じような老若男女を繰り返し書いたのではな く、誰ひとりとして同じ人間はいないことを示したのである。それはもう単に文学の問題でもなければ小説技法の問題でもない」(07.1.1)