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<評伝 野上彌生子―迷路を抜けて森へ >岩橋邦枝(新潮社11/9)

 野上弥生子という作家に肉薄し、プラスマイナスを極めて日常的な立ち居振る舞いまでにも具体的に描ききった評伝。

 作家として野上弥生子漱石の激励を受けつつ出発した初めから、既に百歳になんなんとしてなお<森>を書き続けようとした終末まで、丹念に読みこんで書き下した、評伝作家としての岩橋邦枝もやりがいのある仕事だったと思う。

 

岩橋邦枝(いわはし・くにえ)
生誕: 1934年10月10日
命日: 2014年6月11日 16時43分
年齢: 79歳
出身: 広島県広島市
肩書: 作家
事由: 汎発性腹膜炎
備考:葬儀は近親者のみで行われた。
本名は根本邦枝〈ねもと・くにえ)。1945年10歳の時、広島の原爆投下の直前に父の実家のある佐賀県佐賀市へ疎開した。佐賀県立佐賀高等学校から、お 茶の水女子大学教育学科に進み、在学中の1954年「婦人公論」の作文選に「水紋」が川端康成の選により掲載、初めて書いた小説「つちくれ」が「文藝」全 国学生小説コンクールに当選、1955年「婦人公論」募集の女流小説に「不参加」が入選、1956年「逆光線」が「新女苑」に発表され、女版石原慎太郎と してマスコミが殺到した。当時の女性では先端的だったオートバイを駆り、マフラーを風になびかせ走らせた。「逆光線」と「女子寮祭」が映画化され、短編集 「逆光線」を上梓する。1957年お茶大を卒業、執筆をやめ、英文タイピスト、別荘番などの職につき、「女性自身」で1年、社会面的なルポライター、「週 刊平凡」で1年コラムを持つ。1960年根本英一郎と結婚、一女を儲ける。1965年から「小説現代」を中心に中間小説を書くが、1972年これをやめ、 1974年野間宏の励ましで17年ぶりの純文学作品「日時計」を「文藝」に発表。1975年と1976年、「暮色の深まり」「冬空」で芥川賞候補。 1982年「浅い眠り」で平林たい子文学賞、同年夫が急逝。1986年夫の死を描いた「伴侶」で芸術選奨新人賞、1992年「浮橋」で女流文学賞、 1994年「評伝 長谷川時雨」で新田次郎文学賞、2012年「評伝 野上彌生子−迷路を抜けて森へ」で紫式部文学賞、蓮如賞受賞。日本文藝家協会理事、新田次郎文学賞選考委員。
参照: ウィキペディア
・ 作家の岩橋邦枝さん死去 映画「逆光線」の原作
岩橋邦枝さんが死去 作家
岩橋邦枝さんを偲んで(1)