<歌の彩事記>馬場あき子(読売新聞社96/11)を読む

俵万智塚本邦雄上田三四二等々現代歌人の短歌を取り上げ、秋の歌、冬の歌、春の歌、夏の歌に分け、歌人の目に映る世の中の不条理や人生の真理に及びつつ、世相と自然を語る楽しいエッセー集。

 

とりあげてある歌のひとつふたつを並べてみる。

何も写さぬ一瞬などもあらんかと一枚の鏡拭きつつ怖る      富小路禎子

月光の訛りて降るとわれいへど誰も誰も信じてくれぬ       伊藤一彦

月の光を気管支に溜めねむりゐるただやはらかな楽器のやうに   永井陽子

世に遅るるまた楽しくて月光の曲にしろがねの針を下ろしぬ    山本かね子

報復は神がし給ふと決めをれど日に幾たびも手をわが洗ふ     大西民子

<冬の歌>

かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は真実を生きたかりけり   高安国世

早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ  葛原妙子

孤独なる野鳥ねむれり背の上に未明の雪のそそぎたるまま     斉藤史

売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき     寺山修司

雪はくらき空よりひたすらおりてきてつひに言へざりし唇に触る  藤井常世

<春の歌>

いくそたび母をかなしみ雪の夜雛の座敷に灯をつけにゆく     飯田明子

予感という言葉が透けてくる朝 赤玉ネギは羽を脱ぎおり     俵 万智

「花吹雪空に鯨を泳がせん」豪気まぶしもよ遠き談林       岡部桂一郎

ひっそりと弓たづさへて少年は電車に居たり青葉にほひす     小池 光

大楡の新しき葉を風揉めりわれは憎まれて熾烈に生きたし     中城ふみ子

<夏の歌>

大時計コトリと<分>を跳び越えぬ人の淀みのはるか頭上を     永田和宏

ゆうすげの花のゆふぐれひとりゐて来む世のごとくぬれゐたりけり 山中智恵子

またの名をグレゴール・ザムザ五十歳変らぬ面を曝しゆかんか   島田修二

あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼    佐藤佐太郎

まだ暗き暁まへをあさがほはしづかに紺の泉を展く        小島ゆかり