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<「魯迅『阿Q正伝』を読む」奥泉光×いとうせいこう(すばる08/10月)>

 文芸漫談<笑うブンガク入門>シリーズで、サブタイトルは<文学史上最もプライドが高かった男>
 まず、枕をふって、この奥泉光いとうせいこうがそれぞれミュージシャン体験の熱気を含んだままで、ここに出て来ていることが語られ,それから魯迅という人物について紹介があり、文庫本にして僅か55ページという『阿Q正伝』に入って行く。

 丹念に各章を語って行くし、そこそこに面白いのだが,最後は概ねこうなる。
奥泉「僕はもちろん阿Qではないけれども、でもやっぱり阿Q的なものと自分が無縁だとはとても思えない」そして,いくら革命が起きても旧来のものが支配する世界が続くのではないか、と魯迅は懸念を抱いていたし,これは中国だけの問題ではなく、我々の問題だ、とも語る。
(この辺りは一寸編集が粗くて,もう少し丁寧に説明した方が好かった?)

いとう「魯迅の先見性を感じる」「翻訳(竹内好)が抜群にいい。面白さが伝わるような書き方」
奥泉「注に依ると,随分補足した訳文だそうです。つまり竹内好によって、魯迅の世界は日本語のテキストとしていきいき生かされている」
いとう「とにかく、あの魯迅特有のタッチ、節のある水彩画のような雰囲気だけでも感じ取ってもらえれば」
奥泉「そう。大きな思想的意味とか、魯迅の文学的価値とか,中国民衆云々は・・・」
いとう「中国思想史の学者がいくらでも解説してくれる」とりあえずミュージシャンとしてただ面白ければいいーと締めるのは文芸漫談どおり。
 
 久しぶりに岩波の『魯迅選集』を披らく機会になったが、『阿Q正伝』は魯迅にとって、彼の祖国への愛情に満ち溢れた、無念の告発状のように感じたことだった。
魯迅は『阿Q正伝』のロシア語版の序で、この小説が出版されたとき、さまざまの批評があったが「人生の見方は作者によってちがう。作品の見方も読者によってちがう」として、新しい読者であるロシアでの感想に興味があると書いていた。これは中国の毀誉褒貶に満足出来なかったから?