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『チェーホフを楽しむために』阿刀田高(新潮社06.7.30)を読む

この一冊は、阿刀田高が2005年4月号から同年12月号まで「小説新潮」に連載したエッセイをまとめたものだ。

 まず本論に入る前に、チェーホフの生い立ちから死の三年前の結婚までが一章たてられていて、全体のチェーホフ像が提示されているのは当然ながらこのエッセイを読む前提として十分。
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  自身も短編なら八百編以上書いているという作家の阿刀田から見たチェーホフ論というもので、チェーホフの小説・戯曲を中心にかなり思い切った筆致で作品と 周辺事情に切り込んでいる。それぞれの作品について、作家ならではの体験的な鋭い分析があり、なるほどここまで踏み込んで考えるのか、と同業者としての目 を感じさせるものになっている。評論家や翻訳者ともひと味違う面白さを随所に感じた。
 チェーホフの小説は全部で五百八十編ほどになるそうだが、 とりあげているのは<牡蛎><六号室><かわいい女><犬を連れた奥さん>他十九作品、戯曲は< 桜の園><三人姉妹>他八編を俎上に上げ、作品の一部も引用して詳細に論じてある。ただルポルタージュ<サハリン島>には あっさり触れているだけ。
 
 それらによる阿刀田の語りを簡単に結論づければ、チェーホフの真価は短編小説よりやはり戯曲ですね、ということになる。逆に言えばチェーホフは四大戯曲で世界の文豪になれた、小説だけではさて、ということだろう。
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  この本を離れての個人的な思い出としては、わたしがチェーホフという名前を初めて耳にしたのは、中学の英文法の時間に担当の先生が、何の弾みか「チェーホ フは素晴らしいよ」とわたしたちに語った時だった。その言葉と先生の何とも言えない愉しげな顔つきは覚えているが、その前後がどんな話だったのか全く記憶 がない。しかし以来「チェーホフ」という名前はハッキリと記憶に残った。わたしは同級生で、親が昭和の初期に新潮社の世界文学全集を買いそろえていた家の 本棚から、たしか<退屈な話>の入っている一冊を借りたと思う。しかし中学生のわたしには多分解らなかった。どんな感じだったかもよく覚えて はいない。

 その次にチェーホフにふれたのは、岩波文庫東郷正延訳<喜び/仮面>という一冊。多分チェホンテと名乗った初 期の時代も含む短編集で、滑稽な人生模様を描きながらペーソスを感じさせるものだった。同じく岩波文庫で<シベリアの旅><サハリン 島><グーセフ>も、さらに新潮文庫神西清訳編<チェーホフの手帖>も読み、わたしはいよいよ小説家でありルポルター ジュも渾身の力で書き上げたチェーホフのファンになっていった。
 やがて六十年代前半頃だったと思うが、中央公論社から出た『チェーホフ全集』を買い込むようになる。更には七十年代以降、池田健太郎の『「かもめ」評釈』『チェーホフの仕事部屋』を読み、佐々木基一の『私のチェーホフ』も読む。

 しかし、わたしはチェーホフの戯曲には余り関心が無く、芝居も<かもめ>くらいしか覚えていない。これは阿刀田高の所説とは反対の考え方のようだが、特にさしたる理由もない。わたしにとってチェーホフは小説家であるというだけのことだろう。
  そして日本のチェーホフ没後百年記念祭実行委員会が編集した『現代に生きるチェーホフ』のなかの、「日本文学とチェーホフ」(柳富子)で、日本における チェーホフの受容の歴史を改めて辿ることができた。こういう時代の蓄積のお陰で、わたしも中学時代に先生からチェーホフという名前を教えられ、その後起伏 はありながらもこの作家に関心を持ち続けたのかも知れない。
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 さて、阿刀田はこの本の最後の章で、モ スクワやメーリホヴォでチェーホフの墓と旧家を訪ねたと書いている。メーリホヴォの旧宅は「A・P・チェーホフ文学記念特別保護区国立博物館」になってい た。そこの館長であり劇作家でありチェーホフ研究家であり文化功労賞受賞者でもある、ユーリー・ブイチコフとの話で二人は「立派な文学者ではあるけど、人 間としてはわかりにくいね」として、チェーホフの韜晦趣味については同意見だったという。
 そして阿刀田は尋ねる、現代ロシアで一番好ましく思わ れている作家はと。すると即答でチェーホフの名が挙げられた。阿刀田は、日本では異常なくらいドストエフスキイを尊重するんだが、と意外に思う。ドストエ フスキイを二番手として、三番はゴーリキイ、続いてプーシキンゴーゴリとなり、トルストイはあまり読まれないとのこと。これも阿刀田には意外のことだっ たようだ。

 阿刀田は第一章でこういう趣旨を書いていた。
 チェーホフが登場するまでのロシア文学の状況は、すでにゴーゴリやツ ルゲーネフやドストエフスキイトルストイといった巨匠によって、文学は人間の生き方に強い示唆を与えるものと見なされていた。文学者は人生の偉大な教師 と目され、そこでは長編小説こそが本道であると思われていた。
 遅れて登場したチェーホフは違った。文学はモ裁判官ではなく証人なのですモというのが彼にとって作家のあるべき姿となっていた-と。

 それに加えて阿刀田は最後にこう書く。
チェーホフは多義的な作家であった。多くを語ったが、これを訴えるというポイントは必ずしも明確ではなかった。それを目的としなかった。」
「私 たちの人生はおおむね多義的で、曖昧で、結論のないものではないのか。よほどの人でない限り特に訴えるものなど持ちえないし、そのときそのときで変化して いる。それこそがチェーホフが証言し描いたものではないか。それゆえにチェーホフは時代を越えて愛されるのではないか」
 
 この一冊から感じたのは、等身大のチェーホフに同じく等身大でせまった阿刀田の力闘ぶりだった。