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塚本邦雄『秀吟百趣』講談社文芸文庫14/11を読む

 愉しいアンソロジーだ。当然のことながら、塚本の個性凜々と光っている選歌句であり、選評である。全103歌句の近現代誌。

 読者は時に共感し、時に違和感もあり、この本と対話しつつ、素敵な時を過ごすことが出来る。

▶<mmpoloの日記>2014/12/1

 塚本邦雄『秀吟百趣』(講談社文芸文庫)を読む。ほぼ40年ほど前に『サンデー毎日』に連載したもの。秀歌と秀句を毎週交互に1首、1句ずつ選び、それに塚本が解説を加えたもの。50首と50句で100の予定だったが、結果的に3つ余分に選んでいる。

 塚本の解釈はみごとでただただ圧倒される。その並外れた教養、驚くべき知識、豊富な語彙、深い読み、優れた歌人とは知っていたが、短歌にも俳句にもここまで読み込むことができる人だとは夢知らなかった。

 しかし歌人俳人の 代表作とされているものが必ずしも選ばれていなかった。これについて塚本は「跋」で、「既往の鑑賞文例、評釈類も一応眺め、なるべく先人の触れなかった秀 作を挙げ、人口に膾炙したものなら、私が独特の鑑賞を試み得ることを前提として採用した」と書いている。(なお、本書はすべて旧字体を使っているが、引用は新字体とした)。

村上鬼城

冬蜂の死にどころなく歩きけり


 寒を迎へた昆虫類のあはれは、殊に蜂や蝶に一入強く感じられる。蜂は人を脅かす針を持ち、あの夏空に威を振つてゐたゆゑに、蝶は華麗な衣装を翻して、かの花園の王女にたぐへられてゐたゆゑに。霜柱のやうやくゆるんだ昼近い地上を、力尽きた蜂は、もはや飛ぶ力もなく、よろよろと足を引きずつて行く。汚れた翅が土に触れ、触覚も先は擦り切れてしまつた。

「歩きけり」この座五には、作者の舌打をも交へた憐れみが、ありありと感じられる。あまりにもみじめたらしくて正視に耐へぬ。そのくせ目を逸 らすこともできぬ。「死にどころなく」とは言葉の彩、行きついた所がそのまま墓なのだ。行きつくのが怖ろしい。わずかな息でも通うてゐる間は、蜂はひたす ら動き続ける。時は寒中、死にはぐれたこの蜂を狙ふ蜘蛛も蟻ももうゐない。恐らく彼らを造り給うた神さへ、その末期など御存知あるまい。しかし、一人、こ の句の作者は見つめてゐる。

 次に夏目漱石の句「人に死し鶴に生れて冴え返る」を引き、「この句も、俳諧の要諦を十分に把握して、しかも漱石一流の潔癖な人生観を偲ばせる秀作だ」と書く。しかし最後に、

 総じて漱石の句は巧ではあるが理智的で「理」に落ちる。ならばわれわれは、叡智の人のその冷やかさを賞味すべきだらう。「寒山か拾得か蜂に刺されしは」「無人島の天子とならば涼しかろ」「有るほどの菊投げ入れよ棺の中」等いづれも、句を楽しんだ漱石の自在な心境と、同時に、俳人としての限界が見える作だ。

 尾崎放哉では「一日物云はず蝶の影さす」を選び、「放哉の句は俳句定型にも季の約束にも捉われない。限りなく奔放に見えて、必ずしも眞に自在ではないところが無季自由律の持つ矛盾であり、同時に面白みだらう」と評する。そして山頭火と比較して、

近来、似たような境涯、句風の種田山頭火がにはかに脚光を浴びたかたちだが、詩質は放哉の方が遥かに高く、秀句にも恵まれている。「咳をしても一人」「墓のうらへ廻る」「渚白い足出し」「月夜の葦が折れとる」等は、自由律俳句の極限の好例として有名な句ばかりだ。

 河東碧梧桐では「ゆうべねむれず子に朝の櫻見せ」を選び、「芭蕉以後櫻の句は数知れず、佳作、秀作を思ひつくままに拾つても、すぐに五十や百は数へよう。その中で、私は、碧梧桐のこの淡淡とした、そのくせ何となく憂鬱な朝櫻が忘れられない」と書く。

 碧梧桐について、最後に「眞の姿はむしろ左の数句にあらう」と言って、

   この山吹見し人の行方知らぬ

   火燵にあたりて思ひ遠き印旛沼

   梨売が卒倒したのを知るに間があつた

   草を抜く根の白さ深さに耐へぬ

 大正四年刊の『河東碧梧桐集』と昭和二十九年刊『碧梧桐句集』の、夥しい饒舌体、平談俗語調の群から、私は辛うじてこれらを拾ふ。いづれも重要な何かが欠け、その空白を隠すやうに句は早口で、あるいは吃り吃り何かを伝へやうとあせつてゐる。それゆゑに一種の痛ましい美が、薄い影となつて揺曳する。そしてそれが新傾向、自由律の、つひに自立し得ぬ宿命を暗示してゐるのだ。

 塚本は自由律に批判的だ。前田夕暮について、

 昭和三年「新短歌」を提唱、更に「新興短歌」を標榜した口語自由律作品集『水源地帯』を、昭和七年世に問うた。登載歌数約五百、作者は処女歌集同様とさへ称して意気ごんでゐるが、今日見直せば、特異な言語感覚で綴つた三分の切れつぱしと言ふ他はない。それは、あるいは「自由律」そのものの宿命とも言へようか。

 ついで「佐美雄は天成の、王朝以来の、眞の、『智慧の力持てる歌人(うたびと)』であった」と絶賛される、その前川佐美雄について、

前川佐美雄

春の夜にわが思うふなりわかき日のからくれなゐや悲しかりける


 逆遠近法の華やかな大和絵を見るやうだ。たなびく霞の銀泥の間に、眞紅の一刷毛、その上から陽光ふりそそぐかに一面の金粉。名歌ひしめく佐美雄の第四歌集『大和』の中でも、破格であり、しかも気品に満ちてゐる点では随一だ。当時の「日本浪漫派」の眞髄の一端、「たけ高い調べ」の典型と言つてよからう。「わかき日のからくれなゐ」といふ怖ろしく抽象的な用語がこの一首の生命であり、その抽象性を逆手に取つて、鮮麗無比の青春の魂を浮び上らせた技法、まさに天才といふに価しやう。

 飯田龍太が取り上げられる。

飯田龍太

露草も露のちからの花ひらく


 向日葵は太陽の力もて花ひらき、夜顔は夕月の力もて花ひらく。紫陽花は雨の、白梅は霰の力もてと言ひ連ね、これら悉くを消し去つた時、悲しいほど晴れ渡つて、しかもまだ味爽の空間に、露の力の花を危くひらいた露草の、碧瑠璃の二つ三つが微風に揺れる。

(中略)「露のちからの」とは天来の中七であつた。これほど至妙な力を秘めた七音は稀有と言へよう。数多の花を書き連ねた冒頭のパロディのどれ一つも、絶対これには及ばない。この命短い、刹那の煌めきに賭けた花のため、すべて光を喪ふ。

(中略)

    胎の子にはるかな雪の没日さす

    翌年の父母あかつきの山ざくら

    空腹のはじめ火のいろ冬景色

    桔梗一輪死なばゆく手の道通る

    二枚目の折鶴は緋か露の夜は

    冬深し手に乗る禽の夢を見て

 辛く苦く、したたかに言ひ据ゑるのが俳諧の要諦なら、それは時としてたやすい。鮮麗奇抜の眺めも、それを至上とするなら、作つて見せるのもさして難事ではない。時としては心に先んじて奔り、かつ翔りやまぬ言葉、虹彩を映して華やぐ言葉、その言葉を引き据ゑ、怺(こら)へ、森羅万象に心澄ませつつ、一塊の雲のごとく、一盞(いっさん)の雨のごとく、命しずかな句をなすことは至難の業である。味は眞水、色は純白を以て最高となす大徳の境地、だがそこまで行けば、もう俳句といふ詩形自体が腥(なまぐさ)い。言葉そのものに人間の臭ひがして堪へがたからう。水に夕陽の紅映る、拒みがたい美の片鱗が、世界の美の反映となる、そのやうな句が、「山ざくら」や「桔梗」に暗示されてゐるのではあるまいか。

「一月の川一月の谷の月」と約(つづ)めに約め、一方では「水鳥の夢宙にある月明り」と歌ふ龍太の、自在な、自由な境地を私は畏れかつ愛する。澄みまさるのは死後でよい。時間といふ精妙無比の濾過装置は、いやでも一人一人の作品を澄ませ、また滅ぼしてくれる。

 書き写していても眩暈(めまい)がしそうだ。

 最後から3番目に岡井隆「はじめての長髪剛きやさしさやとどろく秋の風にあゆめば」が取り上げられ、その次が平井照敏の「雲雀落ち天に金粉残りけり」が、そして最後が佐々木幸綱の「父の胸坂のぼりつめたるま悲しきぬばたまの夢冬の鷹の眼」で終わっている。

 講談社文芸文庫には、ほかに塚本邦雄の書として、『定家百首』『百句燦燦』『王朝百首』『西行百首』等々が並んでいる。読みたい気もするし、疲れてしまう気もする。どうしようか。