【コラム】 筆洗  東京新聞2017年1月5日

百五年前の春に二十六歳の若さで逝った石川啄木は、こう言い残したとされる。「俺が死ぬと、俺の日誌を出版したいなどと言ふ馬鹿な奴が出て来るかも知れない、それは断つてくれ、俺が死んだら日記全部焼いてくれ」

▼実際に焼却しようという動きがあったが、それに立ちはだかったのが、啄木の未完の原稿などを保管していた函館図書館の岡田健蔵だった▼岡田は「職務上の責任感と、啄木が明治文壇に重要な存在である点から絶対にその焼却に反対する」と言い、「死守する覚悟」で守り抜いた。一世紀を経て、私たちが名作『ローマ字日記』を読むことができるのは、岡田のおかげなのだ(ドナルド・キーン著『石川啄木』)

▼そういう「職務上の責任感」を発揮する人物は、いなかったのか。

アフリカの南スーダン国連平和維持活動に参加する陸上自衛隊の部隊が、日報を廃棄していたという。現地で大規模な武力衝突が起きた際のことを記録した文書を消し去っていたのだ

▼廃棄ばかりではない。政府や電力業界の幹部たちが核燃料サイクル事業の今後について話し合った「五者協議会」にいたっては、議事録すら作っていなかったという。大切な会議の記録もなしに、後からどう検証をしようというのか▼問われているのは、記録を作り、守ることへの覚悟と責任感だけではない。未来への覚悟と責任感だろう。