『黄金街道』安野光雅 (講談社文庫94/5)を読む

 冒頭に古今亭志ん生の<黄金餅>を置いたあたりは、既にこの1冊の趣旨を尽くしている。上野駅界隈から湯島・神田・日本橋・銀座・新橋・増上寺・麻布十番から絶江坂に至る36カ所を、スケッチとミニエッセーで綴る。謂わば今風の江戸市井遊覧記。スケッチもこの20世紀末の情景が、既に懐古的になっている現在から見ると貴重なもの。170ページほどの文庫本ながら愉しい時空が詰まっている。

 

講談社より

画帖片手の楽しい東京スケッチ散歩。
上野から麻布までの珍道中。不思議な道順の種明かしは読んでからのお楽しみ。

喧噪の上野駅から銀座を抜けて麻布まで──。今はない街並をなつかしみながら、路地に秘められた人々の歴史をひもときながら画帖を片手に歩くたのしみを、 スケッチとエスプリに富んだエッセイで構成する安野光雅の東京画36景。ただごとではないルートの謎ときは、さいごのページを読むまでのおたのしみ!!

『あだ名の人生』池内紀(みすず書房06/12)を読む

「最後の文士」高見順,「二科の総帥」東郷青児,「大いなる野次馬」大宅壮一,「オバケの鏡花」泉鏡花などなど全二十四人。

こういう類いの人物伝は、史記の列伝以来掃いて捨てるほどいくらでもあるだろう。現代でもそれは増え続けている。永井路子『悪霊列伝』、森銑三校註『近世奇人伝』、駒田信二『近代奇人伝』等々。そうそう鴎外の史伝も長いが人物伝だ。
 と言うことは,我々人間にとってもっとも関心があり、興味をかき立てられるのは、やはり他人という人間だろうか。

 そこに敢えて<あだ名>という切り口で,重ねて描いて見せる、これまた人間の物語。
 どこが違うのか。ここには「名人如泥」という一章がある。これはおなじみ石川淳の『諸国畸人伝』にある「小林如泥」という一章が背景となっているように見えた。
 読み比べるのも一興だろう。

チェーホフ 追加 、更に

ところで阿刀田と同じく作家である阿部昭の『短編小説礼賛』(岩波新書86.8)という一冊がある。手許にあ るのは13刷だから、それなりに息長く売れ続けたものだろう。これには、鴎外,モーパッサン,ドーデ,独歩,ルナール,菊池寛,志賀直哉,マンスフィール ド,梶井基次郎,魯迅,ヘミングウエーと並んでチェーホフに一章が割かれている。

 阿部はここで、チェーホフの短編を、修業時代にそっく り敷き写したようなキャサリンマンスフィールドの短編が物議をかもしたことを語りながら、またチェーホフが日頃機会あるごとにモーパッサンの名前を口に 出していたことを語る。チェーホフは戯曲「かもめ」の女優アルカージナに『水の上』を読ませて「ふん、あとはつまらない嘘っぱちだ」と本を閉じさせてしま う。

 しかしこれは、モーパッサンの短編小説のつくり方と違うチェーホフの書き方を強調するものではあっても、モーパッサンを否定的に見 ていたということではなさそうだ。勝手に想像すれば、チェーホフにとってモーパッサンとは、山岳行で聳え立つしかし乗り越えなければならない一つのポイン トだったのではないか。

 阿部はチェーホフの特長をこう語る。「たしかに、チェーホフの短編は筋が辿りにくい、一口にこんな話とは言いに くい。また言ったところであまり意味がない。どんな絵とかどんな音楽とか説明することに意味がないのと同じである。」更に「<話>や< 筋>そのものに頼らず、あからさまなメッセージも発せず、ただひたすら<生きたイメージ>に語らせる。」そういうチェーホフの影響は映 画監督たち、デ・シーカ,フェリーニ,ベルイマン,ライたちにも及んでいるのでは、と想像している。
「結びが決して終わりを意味せず、そのつど新 しい始まりの可能性をはらんでいるような、こういう短編小説の形。チェーホフによって創められ、彼自身によって究め尽くされたように見えるその書き方。以 来どんな短編作者もそれを意識することなしには唯の一行もかけなくなったと言っていい」と。
 そしてこうも語る。「初期の短編から、晩年の大きな 戯曲にいたるまで、チェーホフがどんな人物をも心をこめて大切に扱っているのをわれわれは知っている。彼は同じような老若男女を繰り返し書いたのではな く、誰ひとりとして同じ人間はいないことを示したのである。それはもう単に文学の問題でもなければ小説技法の問題でもない」(07.1.1)

チェーホフ追加  (2007.1.1)

阿刀田高志の『チェーホフを楽しむために』(「小説新潮」連載05年)を読んだ感想として、次のことを結論として記した。
「阿刀田の語りを簡単に結論づければ、チェーホフの真価は短編小説よりやはり戯曲ですね、ということになる。逆に言えばチェーホフは四大戯曲で世界の文豪になれた、小説だけではさて、ということだろう。」

  これは、(第8話 <三人姉妹><桜の園>の兄と弟)の最後の阿刀田の結論を要約したものだ。また例えば、第5話「短編小説の名品たち」で、阿刀田 はチェーホフの短編小説を語り、最後にこう書いている「このエッセイはずっとチェーホフの小説について述べてきたが、次はいよいよチェーホフ城の本丸、戯 曲のほうへ視点を変えて綴ろうと思う」これは短編よりやはり戯曲ですよ、と言っていることだろう。

 更に付け加えると、阿刀田は『短編小説のレシピ』(集英社新書/02年「朝日カルチャーセンター」での講義をまとめた)では、中島敦はじめ新田次郎,志賀直哉,R・ダール,A・ポー,漱石,そして自作を上げているがチェーホフの短編には言及していない。

  チェーホフが出て来るのは、その後『海外短編のテクニック』(集英社新書04.9)に一章が立てられているのが初めて(?)かも知れない。そしてこの時期 には、阿刀田は次のように書いている。(第四章 チェーホフ<イオーヌイチ><犬を連れた奥さん>そして、その他の短編)
 「日本でチェーホフと言えば劇作家としての誉れが高いけれど、この多彩な作家にあえて一枚だけレッテルを貼るとすれば、むしろ短編小説の名手のほうだろう」と。

 ここで言いたいのは、阿刀田のチェーホフ評価の揺らぎをあげつらうことではなく、むしろチェーホフという作家の<解りにくくさえある多彩な>面が、逆に阿刀田の評価を、その時々に替えさせているものとして見ることが出来る、ということだ。

『チェーホフを楽しむために』阿刀田高(新潮社06.7.30)を読む

この一冊は、阿刀田高が2005年4月号から同年12月号まで「小説新潮」に連載したエッセイをまとめたものだ。

 まず本論に入る前に、チェーホフの生い立ちから死の三年前の結婚までが一章たてられていて、全体のチェーホフ像が提示されているのは当然ながらこのエッセイを読む前提として十分。
               ★
  自身も短編なら八百編以上書いているという作家の阿刀田から見たチェーホフ論というもので、チェーホフの小説・戯曲を中心にかなり思い切った筆致で作品と 周辺事情に切り込んでいる。それぞれの作品について、作家ならではの体験的な鋭い分析があり、なるほどここまで踏み込んで考えるのか、と同業者としての目 を感じさせるものになっている。評論家や翻訳者ともひと味違う面白さを随所に感じた。
 チェーホフの小説は全部で五百八十編ほどになるそうだが、 とりあげているのは<牡蛎><六号室><かわいい女><犬を連れた奥さん>他十九作品、戯曲は< 桜の園><三人姉妹>他八編を俎上に上げ、作品の一部も引用して詳細に論じてある。ただルポルタージュ<サハリン島>には あっさり触れているだけ。
 
 それらによる阿刀田の語りを簡単に結論づければ、チェーホフの真価は短編小説よりやはり戯曲ですね、ということになる。逆に言えばチェーホフは四大戯曲で世界の文豪になれた、小説だけではさて、ということだろう。
               ★
  この本を離れての個人的な思い出としては、わたしがチェーホフという名前を初めて耳にしたのは、中学の英文法の時間に担当の先生が、何の弾みか「チェーホ フは素晴らしいよ」とわたしたちに語った時だった。その言葉と先生の何とも言えない愉しげな顔つきは覚えているが、その前後がどんな話だったのか全く記憶 がない。しかし以来「チェーホフ」という名前はハッキリと記憶に残った。わたしは同級生で、親が昭和の初期に新潮社の世界文学全集を買いそろえていた家の 本棚から、たしか<退屈な話>の入っている一冊を借りたと思う。しかし中学生のわたしには多分解らなかった。どんな感じだったかもよく覚えて はいない。

 その次にチェーホフにふれたのは、岩波文庫東郷正延訳<喜び/仮面>という一冊。多分チェホンテと名乗った初 期の時代も含む短編集で、滑稽な人生模様を描きながらペーソスを感じさせるものだった。同じく岩波文庫で<シベリアの旅><サハリン 島><グーセフ>も、さらに新潮文庫神西清訳編<チェーホフの手帖>も読み、わたしはいよいよ小説家でありルポルター ジュも渾身の力で書き上げたチェーホフのファンになっていった。
 やがて六十年代前半頃だったと思うが、中央公論社から出た『チェーホフ全集』を買い込むようになる。更には七十年代以降、池田健太郎の『「かもめ」評釈』『チェーホフの仕事部屋』を読み、佐々木基一の『私のチェーホフ』も読む。

 しかし、わたしはチェーホフの戯曲には余り関心が無く、芝居も<かもめ>くらいしか覚えていない。これは阿刀田高の所説とは反対の考え方のようだが、特にさしたる理由もない。わたしにとってチェーホフは小説家であるというだけのことだろう。
  そして日本のチェーホフ没後百年記念祭実行委員会が編集した『現代に生きるチェーホフ』のなかの、「日本文学とチェーホフ」(柳富子)で、日本における チェーホフの受容の歴史を改めて辿ることができた。こういう時代の蓄積のお陰で、わたしも中学時代に先生からチェーホフという名前を教えられ、その後起伏 はありながらもこの作家に関心を持ち続けたのかも知れない。
                ★
 さて、阿刀田はこの本の最後の章で、モ スクワやメーリホヴォでチェーホフの墓と旧家を訪ねたと書いている。メーリホヴォの旧宅は「A・P・チェーホフ文学記念特別保護区国立博物館」になってい た。そこの館長であり劇作家でありチェーホフ研究家であり文化功労賞受賞者でもある、ユーリー・ブイチコフとの話で二人は「立派な文学者ではあるけど、人 間としてはわかりにくいね」として、チェーホフの韜晦趣味については同意見だったという。
 そして阿刀田は尋ねる、現代ロシアで一番好ましく思わ れている作家はと。すると即答でチェーホフの名が挙げられた。阿刀田は、日本では異常なくらいドストエフスキイを尊重するんだが、と意外に思う。ドストエ フスキイを二番手として、三番はゴーリキイ、続いてプーシキンゴーゴリとなり、トルストイはあまり読まれないとのこと。これも阿刀田には意外のことだっ たようだ。

 阿刀田は第一章でこういう趣旨を書いていた。
 チェーホフが登場するまでのロシア文学の状況は、すでにゴーゴリやツ ルゲーネフやドストエフスキイトルストイといった巨匠によって、文学は人間の生き方に強い示唆を与えるものと見なされていた。文学者は人生の偉大な教師 と目され、そこでは長編小説こそが本道であると思われていた。
 遅れて登場したチェーホフは違った。文学はモ裁判官ではなく証人なのですモというのが彼にとって作家のあるべき姿となっていた-と。

 それに加えて阿刀田は最後にこう書く。
チェーホフは多義的な作家であった。多くを語ったが、これを訴えるというポイントは必ずしも明確ではなかった。それを目的としなかった。」
「私 たちの人生はおおむね多義的で、曖昧で、結論のないものではないのか。よほどの人でない限り特に訴えるものなど持ちえないし、そのときそのときで変化して いる。それこそがチェーホフが証言し描いたものではないか。それゆえにチェーホフは時代を越えて愛されるのではないか」
 
 この一冊から感じたのは、等身大のチェーホフに同じく等身大でせまった阿刀田の力闘ぶりだった。

.『松本清張あらかると』阿刀田高 (中央公論社97.12)を読む

これは、1994年から96年にかけて中央公論社から出された『松本清張小説セレクション』36巻それぞれの末尾に付けた解説をまとめたものだと言う。
  単なる解説に止まらず,編者阿刀田高のエッセイ風感想であり,自ら小説家としての視点から,松本清張のそれぞれの作品を控えめな態度ながら,かつ縦横に論 じている。このように,特定の作家個人の作品についての<書評>集は、やはりまとめた作家論として面白い。
 しかも、この一冊は清張論であると同時に,阿刀田の技術的な課題も含めた小説論となっているエッセイ集でもある。作家としての、内輪話のような状況も語られて面白い。
 なお清張付きの2人の編集者(かれらは又姉妹でもあるが)の話の録音筆記も収められているのがまた興味深い。
  先頃『変容する文学のなかで』という菅野昭正の1980年から90年代にかけての書評集(上巻)を読んだが,それが多くの作家の作品を時系列的にまとめ て、20世紀末の日本文学誌となっていたとすれば、この『松本清張あらかると』は、戦後文学史の流れのなかに作家個人の文業を辿ってみたと言えるだろう。
 古歌に「見もわかぬ書籍をつづり読まんより物知る人の雑談を聴け」とあるそうだが(『古語雑談』佐竹昭広/岩波新書)そう云った意味でも、愉しく読める好い一冊だ。