「薔薇色のゴリラ」塚本邦雄 (人文書院/77/9)を読む

<名作シャンソン百花譜>として、シャンソンに寄せた日々を語る。

戦中は例えば<暗い日曜日>などを聴いていれば、<海行かば><愛国行進曲>を聴け、といった恐るべき暗黒時代。そういう中からレコードを一枚一枚買いためて聞き入った頃。安っぽい恋歌でさえ、それがフランス語で脚韻を踏んでいればその自国語愛に脱帽。ドラマに富んだシャンソンこそが、優れた短編小説であり、素敵な3幕物の芝居と惚れ込んだらしい。しかも原語で歌われているレコードのそれに強い愛着が。

しかし60年代以降のロック・シャンソン以降は、すっかり熱がさめてしまったようだ。

 実はここに書かれたシャンソンの一部以外は殆ど知らない。この本の目次に示された曲のCDを集めて、ゆっくり聴いてみたいところだが。

 シャンソンの32<詞華>も原語と日本訳で付ける。

 目次の一部。

▶戦後五彩

典雅なゴリラ=ジョルジュ・ブラッサンス/地獄の薔薇=エディット・ピアフ/

馨る水銀=ジュリエット・グレコ/悍馬微笑=イブ・モンタン/青酸を含む珍味=レオ・フェレ

▶戦前七星

冥府の水仙=イヴォンヌ・ジョルジェ/黄昏への酸鼻歌=リス・ゴーティ/失楽園の巫女=ダミア/爛れたマルメロ=フレール/猥雑なオルフェ=モーリス・シュヴァリエ/淫奔なマドンナ=ミスタンゲット/凍れる火食鳥=マリー・デュパ

「明平さんのいる風景」玉井五一ほか編 (風媒社/99/6)

サブタイトルは<杉浦明平生前追想集>

 杉浦明平という作家のルポは、若い頃いくつか読んだ。農漁村のじめじめした空気がなく、爽快な印象が残っている。

 今度追想を集めたこの本を読んで、やはりその印象に変わりなかった。

 戦後の時期に、<挫折>しなかった、ほんとうの意味で知性というものを具えた希有な作家だったのか。

▶内容

明平さんとカレーライス 本多秋五著. 黒い怒りのゆくえ 鶴見俊輔著. 杉浦明平さんと「群像」と私 大久保房男著. 藪の中の光 木島始著. 死ぬまで生きよう 池田竜雄著. 明平さんのユーモラスな語り口 針生一郎著. ニベもない大快楽人 津野海太郎著. 真ん中の杉浦 川崎彰彦著. 戦後草創の“未来の会” 木下順二著. 近望崋山、遠望杉浦明平先生 小沢昭一著 宮腰太郎著. 哄笑の文学 玉井五一著. 明平さんの哄笑 土方鉄著. 人間模様と文学と はらてつし著. 『小説渡辺崋山』執筆のころ 山本【ヒトシ】著. 動く日本列島 水谷勇夫著. 眼の前の大きな壁 岡田孝一著. 成熟した眼 花田清輝著. 杉浦明平『ノリソダ騒動記』 丸山真男著. 杉浦明平『田園組曲』 長谷川四郎著. 小説渡辺崋山 藤枝静男著. ミンペイさん 佐々木基一著. 驥尾に付して五十年 川口務著. 畑と書斎 岩田行大著. 清田小学校の卒業生 大谷将夫著. 傘寿・明平さん 『海風』同人座談.
抄録    渥美半島の農漁村に根を下ろし、ルポルタージュの執筆から、イタリア・ルネッサンス文学、歌人の研究まで、縦横無尽の活躍を続ける杉浦明平。その愛すべき実像を、同時代文学の僚友や身近な人々の証言によって活写する

<辞書と日本語>倉島節尚(光文社新書/02/12)を読む

 辞書は何をポイントにして編集されていくのか?そのために、どういう準備が必要で、作成途中の苦心は何か。

 これに類したものはかなり読んできたつもりだが、それぞれ編著者の肌合いの違いも面白く、どれを読んでも興味津々。

 これには、特に近未来の辞書の体裁として、電子化された辞書について触れてあるところは、今後の課題も含めながら大切。これが出版されてすでに10年余りになることを見れば、本日ただ今の出版事情をも知りたいところ。

 

▶出版社より

膨大な時間と手間と人手を要する辞書作り。その現場に半生を捧げてきた著者が、これまで案外知られていなかった国語辞典のウラ側を分かりやすくかつ楽しく解き明かす。

目次より

第一部 辞書を読む

第1章 日本語の変化をを辞書はどう映すか

第2章 辞書には何が書いてあるか

第3章 語源の奥深さ

第4章 用例は語る

第二部 辞書作りの舞台裏

第5章 見出し語はどりように選ぶか

第6章 辞書の命−原稿製作

第7章 辞書作りの手順

第三部 辞書をより深く知る

第8章 辞書の歴史

第9章 辞書の近未来

 

著者略歴

倉島/節尚
1935年長野県生まれ。59年東京大学文学部国語国文学科卒業後、三省堂に入社。以来、長く国語辞典の編集に携わる。『大辞林』(初版)編集長、出版局 長、常務取締役を務め、90年から大正大学文学部教授。

<恋の名前>高橋順子文/佐藤秀明写真(小学館/16/2/)を読む

古代王朝以来わが国は<恋>の文化を多彩に煌めかしてきた。その軌跡を辿り様々なジャンルを博捜しまとめた詞華集。和歌・俳句から幾つかの詞華集、民謡、川柳などを含む絢爛たる<ことば>の祭典。

 

▶出版社より

恋振、相惚、後朝、時雨心地、恋の瀬踏、老いらくの恋…。「恋の名前」470項目720語を、美しい写真、恋の詩や物語と共に紹介する。季節と人生をたのしむ「まほろば歳時記」シリーズ。
著者紹介    〈高橋順子〉1944年千葉県生まれ。詩人。「時の雨」で読売文学賞、「海へ」で藤村記念歴程賞と三好達治賞を受賞。 〈佐藤秀明〉1943年新潟県生まれ。写真家。日本写真家協会会員。

<歌の彩事記>馬場あき子(読売新聞社96/11)を読む

俵万智塚本邦雄上田三四二等々現代歌人の短歌を取り上げ、秋の歌、冬の歌、春の歌、夏の歌に分け、歌人の目に映る世の中の不条理や人生の真理に及びつつ、世相と自然を語る楽しいエッセー集。

 

とりあげてある歌のひとつふたつを並べてみる。

何も写さぬ一瞬などもあらんかと一枚の鏡拭きつつ怖る      富小路禎子

月光の訛りて降るとわれいへど誰も誰も信じてくれぬ       伊藤一彦

月の光を気管支に溜めねむりゐるただやはらかな楽器のやうに   永井陽子

世に遅るるまた楽しくて月光の曲にしろがねの針を下ろしぬ    山本かね子

報復は神がし給ふと決めをれど日に幾たびも手をわが洗ふ     大西民子

<冬の歌>

かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は真実を生きたかりけり   高安国世

早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ  葛原妙子

孤独なる野鳥ねむれり背の上に未明の雪のそそぎたるまま     斉藤史

売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき     寺山修司

雪はくらき空よりひたすらおりてきてつひに言へざりし唇に触る  藤井常世

<春の歌>

いくそたび母をかなしみ雪の夜雛の座敷に灯をつけにゆく     飯田明子

予感という言葉が透けてくる朝 赤玉ネギは羽を脱ぎおり     俵 万智

「花吹雪空に鯨を泳がせん」豪気まぶしもよ遠き談林       岡部桂一郎

ひっそりと弓たづさへて少年は電車に居たり青葉にほひす     小池 光

大楡の新しき葉を風揉めりわれは憎まれて熾烈に生きたし     中城ふみ子

<夏の歌>

大時計コトリと<分>を跳び越えぬ人の淀みのはるか頭上を     永田和宏

ゆうすげの花のゆふぐれひとりゐて来む世のごとくぬれゐたりけり 山中智恵子

またの名をグレゴール・ザムザ五十歳変らぬ面を曝しゆかんか   島田修二

あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼    佐藤佐太郎

まだ暗き暁まへをあさがほはしづかに紺の泉を展く        小島ゆかり

<評伝 野上彌生子―迷路を抜けて森へ >岩橋邦枝(新潮社11/9)

 野上弥生子という作家に肉薄し、プラスマイナスを極めて日常的な立ち居振る舞いまでにも具体的に描ききった評伝。

 作家として野上弥生子漱石の激励を受けつつ出発した初めから、既に百歳になんなんとしてなお<森>を書き続けようとした終末まで、丹念に読みこんで書き下した、評伝作家としての岩橋邦枝もやりがいのある仕事だったと思う。

 

岩橋邦枝(いわはし・くにえ)
生誕: 1934年10月10日
命日: 2014年6月11日 16時43分
年齢: 79歳
出身: 広島県広島市
肩書: 作家
事由: 汎発性腹膜炎
備考:葬儀は近親者のみで行われた。
本名は根本邦枝〈ねもと・くにえ)。1945年10歳の時、広島の原爆投下の直前に父の実家のある佐賀県佐賀市へ疎開した。佐賀県立佐賀高等学校から、お 茶の水女子大学教育学科に進み、在学中の1954年「婦人公論」の作文選に「水紋」が川端康成の選により掲載、初めて書いた小説「つちくれ」が「文藝」全 国学生小説コンクールに当選、1955年「婦人公論」募集の女流小説に「不参加」が入選、1956年「逆光線」が「新女苑」に発表され、女版石原慎太郎と してマスコミが殺到した。当時の女性では先端的だったオートバイを駆り、マフラーを風になびかせ走らせた。「逆光線」と「女子寮祭」が映画化され、短編集 「逆光線」を上梓する。1957年お茶大を卒業、執筆をやめ、英文タイピスト、別荘番などの職につき、「女性自身」で1年、社会面的なルポライター、「週 刊平凡」で1年コラムを持つ。1960年根本英一郎と結婚、一女を儲ける。1965年から「小説現代」を中心に中間小説を書くが、1972年これをやめ、 1974年野間宏の励ましで17年ぶりの純文学作品「日時計」を「文藝」に発表。1975年と1976年、「暮色の深まり」「冬空」で芥川賞候補。 1982年「浅い眠り」で平林たい子文学賞、同年夫が急逝。1986年夫の死を描いた「伴侶」で芸術選奨新人賞、1992年「浮橋」で女流文学賞、 1994年「評伝 長谷川時雨」で新田次郎文学賞、2012年「評伝 野上彌生子−迷路を抜けて森へ」で紫式部文学賞、蓮如賞受賞。日本文藝家協会理事、新田次郎文学賞選考委員。
参照: ウィキペディア
・ 作家の岩橋邦枝さん死去 映画「逆光線」の原作
岩橋邦枝さんが死去 作家
岩橋邦枝さんを偲んで(1)

 

 

塚本邦雄『秀吟百趣』講談社文芸文庫14/11を読む

 愉しいアンソロジーだ。当然のことながら、塚本の個性凜々と光っている選歌句であり、選評である。全103歌句の近現代誌。

 読者は時に共感し、時に違和感もあり、この本と対話しつつ、素敵な時を過ごすことが出来る。

▶<mmpoloの日記>2014/12/1

 塚本邦雄『秀吟百趣』(講談社文芸文庫)を読む。ほぼ40年ほど前に『サンデー毎日』に連載したもの。秀歌と秀句を毎週交互に1首、1句ずつ選び、それに塚本が解説を加えたもの。50首と50句で100の予定だったが、結果的に3つ余分に選んでいる。

 塚本の解釈はみごとでただただ圧倒される。その並外れた教養、驚くべき知識、豊富な語彙、深い読み、優れた歌人とは知っていたが、短歌にも俳句にもここまで読み込むことができる人だとは夢知らなかった。

 しかし歌人俳人の 代表作とされているものが必ずしも選ばれていなかった。これについて塚本は「跋」で、「既往の鑑賞文例、評釈類も一応眺め、なるべく先人の触れなかった秀 作を挙げ、人口に膾炙したものなら、私が独特の鑑賞を試み得ることを前提として採用した」と書いている。(なお、本書はすべて旧字体を使っているが、引用は新字体とした)。

村上鬼城

冬蜂の死にどころなく歩きけり


 寒を迎へた昆虫類のあはれは、殊に蜂や蝶に一入強く感じられる。蜂は人を脅かす針を持ち、あの夏空に威を振つてゐたゆゑに、蝶は華麗な衣装を翻して、かの花園の王女にたぐへられてゐたゆゑに。霜柱のやうやくゆるんだ昼近い地上を、力尽きた蜂は、もはや飛ぶ力もなく、よろよろと足を引きずつて行く。汚れた翅が土に触れ、触覚も先は擦り切れてしまつた。

「歩きけり」この座五には、作者の舌打をも交へた憐れみが、ありありと感じられる。あまりにもみじめたらしくて正視に耐へぬ。そのくせ目を逸 らすこともできぬ。「死にどころなく」とは言葉の彩、行きついた所がそのまま墓なのだ。行きつくのが怖ろしい。わずかな息でも通うてゐる間は、蜂はひたす ら動き続ける。時は寒中、死にはぐれたこの蜂を狙ふ蜘蛛も蟻ももうゐない。恐らく彼らを造り給うた神さへ、その末期など御存知あるまい。しかし、一人、こ の句の作者は見つめてゐる。

 次に夏目漱石の句「人に死し鶴に生れて冴え返る」を引き、「この句も、俳諧の要諦を十分に把握して、しかも漱石一流の潔癖な人生観を偲ばせる秀作だ」と書く。しかし最後に、

 総じて漱石の句は巧ではあるが理智的で「理」に落ちる。ならばわれわれは、叡智の人のその冷やかさを賞味すべきだらう。「寒山か拾得か蜂に刺されしは」「無人島の天子とならば涼しかろ」「有るほどの菊投げ入れよ棺の中」等いづれも、句を楽しんだ漱石の自在な心境と、同時に、俳人としての限界が見える作だ。

 尾崎放哉では「一日物云はず蝶の影さす」を選び、「放哉の句は俳句定型にも季の約束にも捉われない。限りなく奔放に見えて、必ずしも眞に自在ではないところが無季自由律の持つ矛盾であり、同時に面白みだらう」と評する。そして山頭火と比較して、

近来、似たような境涯、句風の種田山頭火がにはかに脚光を浴びたかたちだが、詩質は放哉の方が遥かに高く、秀句にも恵まれている。「咳をしても一人」「墓のうらへ廻る」「渚白い足出し」「月夜の葦が折れとる」等は、自由律俳句の極限の好例として有名な句ばかりだ。

 河東碧梧桐では「ゆうべねむれず子に朝の櫻見せ」を選び、「芭蕉以後櫻の句は数知れず、佳作、秀作を思ひつくままに拾つても、すぐに五十や百は数へよう。その中で、私は、碧梧桐のこの淡淡とした、そのくせ何となく憂鬱な朝櫻が忘れられない」と書く。

 碧梧桐について、最後に「眞の姿はむしろ左の数句にあらう」と言って、

   この山吹見し人の行方知らぬ

   火燵にあたりて思ひ遠き印旛沼

   梨売が卒倒したのを知るに間があつた

   草を抜く根の白さ深さに耐へぬ

 大正四年刊の『河東碧梧桐集』と昭和二十九年刊『碧梧桐句集』の、夥しい饒舌体、平談俗語調の群から、私は辛うじてこれらを拾ふ。いづれも重要な何かが欠け、その空白を隠すやうに句は早口で、あるいは吃り吃り何かを伝へやうとあせつてゐる。それゆゑに一種の痛ましい美が、薄い影となつて揺曳する。そしてそれが新傾向、自由律の、つひに自立し得ぬ宿命を暗示してゐるのだ。

 塚本は自由律に批判的だ。前田夕暮について、

 昭和三年「新短歌」を提唱、更に「新興短歌」を標榜した口語自由律作品集『水源地帯』を、昭和七年世に問うた。登載歌数約五百、作者は処女歌集同様とさへ称して意気ごんでゐるが、今日見直せば、特異な言語感覚で綴つた三分の切れつぱしと言ふ他はない。それは、あるいは「自由律」そのものの宿命とも言へようか。

 ついで「佐美雄は天成の、王朝以来の、眞の、『智慧の力持てる歌人(うたびと)』であった」と絶賛される、その前川佐美雄について、

前川佐美雄

春の夜にわが思うふなりわかき日のからくれなゐや悲しかりける


 逆遠近法の華やかな大和絵を見るやうだ。たなびく霞の銀泥の間に、眞紅の一刷毛、その上から陽光ふりそそぐかに一面の金粉。名歌ひしめく佐美雄の第四歌集『大和』の中でも、破格であり、しかも気品に満ちてゐる点では随一だ。当時の「日本浪漫派」の眞髄の一端、「たけ高い調べ」の典型と言つてよからう。「わかき日のからくれなゐ」といふ怖ろしく抽象的な用語がこの一首の生命であり、その抽象性を逆手に取つて、鮮麗無比の青春の魂を浮び上らせた技法、まさに天才といふに価しやう。

 飯田龍太が取り上げられる。

飯田龍太

露草も露のちからの花ひらく


 向日葵は太陽の力もて花ひらき、夜顔は夕月の力もて花ひらく。紫陽花は雨の、白梅は霰の力もてと言ひ連ね、これら悉くを消し去つた時、悲しいほど晴れ渡つて、しかもまだ味爽の空間に、露の力の花を危くひらいた露草の、碧瑠璃の二つ三つが微風に揺れる。

(中略)「露のちからの」とは天来の中七であつた。これほど至妙な力を秘めた七音は稀有と言へよう。数多の花を書き連ねた冒頭のパロディのどれ一つも、絶対これには及ばない。この命短い、刹那の煌めきに賭けた花のため、すべて光を喪ふ。

(中略)

    胎の子にはるかな雪の没日さす

    翌年の父母あかつきの山ざくら

    空腹のはじめ火のいろ冬景色

    桔梗一輪死なばゆく手の道通る

    二枚目の折鶴は緋か露の夜は

    冬深し手に乗る禽の夢を見て

 辛く苦く、したたかに言ひ据ゑるのが俳諧の要諦なら、それは時としてたやすい。鮮麗奇抜の眺めも、それを至上とするなら、作つて見せるのもさして難事ではない。時としては心に先んじて奔り、かつ翔りやまぬ言葉、虹彩を映して華やぐ言葉、その言葉を引き据ゑ、怺(こら)へ、森羅万象に心澄ませつつ、一塊の雲のごとく、一盞(いっさん)の雨のごとく、命しずかな句をなすことは至難の業である。味は眞水、色は純白を以て最高となす大徳の境地、だがそこまで行けば、もう俳句といふ詩形自体が腥(なまぐさ)い。言葉そのものに人間の臭ひがして堪へがたからう。水に夕陽の紅映る、拒みがたい美の片鱗が、世界の美の反映となる、そのやうな句が、「山ざくら」や「桔梗」に暗示されてゐるのではあるまいか。

「一月の川一月の谷の月」と約(つづ)めに約め、一方では「水鳥の夢宙にある月明り」と歌ふ龍太の、自在な、自由な境地を私は畏れかつ愛する。澄みまさるのは死後でよい。時間といふ精妙無比の濾過装置は、いやでも一人一人の作品を澄ませ、また滅ぼしてくれる。

 書き写していても眩暈(めまい)がしそうだ。

 最後から3番目に岡井隆「はじめての長髪剛きやさしさやとどろく秋の風にあゆめば」が取り上げられ、その次が平井照敏の「雲雀落ち天に金粉残りけり」が、そして最後が佐々木幸綱の「父の胸坂のぼりつめたるま悲しきぬばたまの夢冬の鷹の眼」で終わっている。

 講談社文芸文庫には、ほかに塚本邦雄の書として、『定家百首』『百句燦燦』『王朝百首』『西行百首』等々が並んでいる。読みたい気もするし、疲れてしまう気もする。どうしようか。